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◆ナオミの充填物語 ビフォー・アフター◆ Vol.148 2019年8月号
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「滑稽なくらい自分のことを自分は知らない」
人は自分のことは全く見えていないなあと思うことがよくあります。みなさんも、そんな場面に遭遇することはよくあるのではないでしょうか。
例えば、「私は相手の話を聞ける人です」と言う人が、人の話が全く聞けていない場合があります。当の本人は、そのことを疑いもなく思っているのです。だから、「あなたは人の話を聞いてないですよ」と言われても「え?私は聞いていますよ」と言って、人の注意を受け入れません。
話を聞けている自分であることを信じて疑わないからです。注意した人の方がおかしいと思っている。そして、本当の自分を知らないまま生きているのです。いろんな人から同じことを言われても、そんなはずはないと思っているんですよね。
だから「そうなのかなあ?」くらいで腑に落ちないので、同じことを何度も繰り返してしまいます。
そうしてその人のために言ってくれていた人も、言っても気が付かないし、聞き入れないから、もう言うのはやめようとなってしまいます。
周りの人たちはその人が話を聞かない人だとみんな知っていて、困っているのに、本人は意に介さず同じことをしてしまうので、適当に合わせるかあきらめて近づかないようにするしかなくなります。特に権力のある人がそうである場合、本当に周りは大変です。疲弊してしまいます。それくらい自分にしみついてしまっていて、まさか自分がそんな風に思われているなんて全く想像もしないくらいです。
私も最近そんなことがあり、まさか私が!と驚き、相当落ち込んだことがありました。
それは娘に言われたことでした。
娘 「お母さんは負けず嫌いやなあ。」
私 「?負けず嫌い?まさか私は勝ち負けなんて全く興味ないよ」
娘 「それ、本気で言ってる?」
私 「うん、私、平和主義者やし、争いごと嫌いやもん。どこが負けず嫌いなん?全く分からないわ。」
娘 「お母さんは勝負に負けないように生きてきたんよ。自分では気がつかないのかもしれないけど、負けないように自分の思い通りになるように生きてきたでしょ?先代のおじいちゃんとのバトルのときも、そうやったと思うよ。絶対におじいちゃんの言うことなんか聞かなかったし、その場では聞いたふりして思い通りにしてきたよ。」
私 「・・・・。」
娘 「そういうことよ。負けたくない人なんよ。」
私 「・・・・。」
私は言葉を失いました。私の平和主義は、負けないようにするための平和主義だったこと。聞いているふりして、思い通りにやってしまうこと。言われればその通りだなあと愕然としました。
娘 「お母さんが負けず嫌いなのは、周りの人はみんな知っているよ。知らなかったのはお母さんだけだったってこと。でもみんなは、そんなこと言えないから黙っているだけ。」
追い打ちをかけられました。私は、自分がそんな自分であることなんて、先日まで全く知りませんでした。最初に書いた、話を聞かない人と私は同じでした。
娘 「負けず嫌いが悪いわけではないよ。自分で認めたらいいんやん。私は負けず嫌いですって。正直になったらいいだけよ。その自分を認めたらいいだけよ。」
私は負けず嫌いということが昔から大嫌いでした。みっともないと思っていました。人と張り合って、比較して自分が優位だと思うちっちゃい人間だと思っていました。だからそんな人間にはなりたくないと思っていたのです。育った環境の中にそんな人がいて、いつもその姿に嫌悪感を持っていました。
負けず嫌いは、「悪いこと」として私の中で存在していました。
娘 「お母さんは負けず嫌いだったから、ここまでナオミを大きくすることができたんじゃないかな。負けず嫌いじゃなかったら、良い会社を創ることなんて、とっくに諦めているでしょ?(笑)」
私 「確かにそうやなあ。」
負けず嫌いが、良い悪いではないことに気が付きました。
娘 「負けず嫌いなのに、負けず嫌いではないふりをしていたことが鼻につくんだよ。まがいものだからね。」
私は恥ずかしすぎて、黙りこくってしまいました。
『そっかあ、私はあれだけ嫌悪していた負けず嫌いだったのだ。その自分にようやく気が付いた。そんな自分であることさえも知らずに生きていた。と言うよりも、前から身近な人に何度も言われていたに違いないけど、そのことが自分のこととは思えなくて耳に入りもしなかった。人というのは、滑稽なくらい本当に自分のことを分かっていないものだ。』
私はそれを知って、人に言われたら自分にはそういうところがあるなあと、受け止めることができるようになりました。たとえ、自分では納得できないことがあったとしても、人にはそう映っているんだなと受け止められるようになりました。
前は、「私はそんなことしていません。私はそんな人間ではありません。なんて失礼な人なんだ」と相手を責める気持ちがありました。そうなると、話を聞かない人と同じで、もう誰も言ってくれなくなります。裸の王様です。
人は注意を受けることや、自分が受け入れにくい言葉を言われるときに傷つきます。そして逆切れしてしまいそうなこともあります。それは、自分視点なんですね。
でもそれをわざわざ言ってくれる人は、その人に気付かせてあげようとか成長してほしいという気持ちがあるから言ってくれるのです。言ってくれた相手の立場に立つことを忘れてはいけないと思います。
「言われた~」ではなく、「言い難いことを言ってくれてありがとう~」なんですね。
言われなくなったら終わりだという言葉がありますが、まさにそうだと思います。言ってくれた人に感謝して、自分に向き合い努力し続ける。その姿に人は心を打たれて、またこの人のために伝えようと思うのではないでしょうか。
みなさんの中にも、「人の話を聞かない人」のような部分ってあると思います。「私はできている」と思っている人は要注意です。
例えば多いのが、
自分には甘いけど、人には厳しい。
その場はいい人のふりをしている。
注意していると思っているけどコントロールしようとしている。
ジャッジしている。
ええかっこしいをしている。
人を見下している。
上から言う。
などなど。
ふりをして相手に分からないように生きていることがよくあります。(相手には丸見えなんですけどね)そのふりをしている自分に本当に気が付いていないことがあるので、人に言われたときは辛いでしょうけど、その事実を受け止めてそう言う自分に向き合っていくしかないと思います。
ふりをしない。「私は自分には甘くて、人には厳しくしてしまうところがある」と正直に認めることが、人との関係性を深める第一歩だと思います。認めない人には、人は近づくことはしません。そこには嘘があるからです。
いろんな自分を否定せずに認めて生きていく。そんな風にどんなに歳を取ってもあり続けたいと私は思います。かたくなにならないように。