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◆ナオミの充填物語 ビフォー・アフター◆ Vol.147 2019年7月号
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「自分の正しさを手放す」


会社は利益集団です。でも私は単にそれだけではなく、人が成長する場として会社は絶好の場だと思っています。

ナオミは中途採用者の多い会社です。中途採用で入社してきたメンバーの多くが「前職の会社と比べると、ナオミほど生き方について、在り方について言われることはなかった」と言います。誰にも言われたことがない、教えてもらったことがない、人としてどうあるべきかを考えたこともないというメンバーもいます。今までは、会社は与えられた仕事をこなして給料を貰う場という認識だったんだと思います。

でも私は「どう生きるか、人としてどうあるべきか」が仕事や人に大きな影響を与えることをたくさん経験しているので、生き方について伝える時間をとても大切にしています。

時には厳しく、改善してほしい点を指摘することもあります。改善してほしい点とは、自分の視点に立った考え方をしていることです。『自分が正しい』という視点です。

人間は『自分が正しい』というフィルターで、すべてのことを見ています。そのときには、相手の立場に立って考えることはできません。でも、会社はいろんな考え方の人たちと一緒に結果を出していく場です。自分が正しいという視点に立っていると、必ずと言っていいほど問題が起きます。

組織の中には、自分が理解できない考え方をする人がいます。よく似た思考性の人とは阿吽の呼吸でできてしまうことでも、対極にいる思考性の人とはそうはいきません。自分の正しさや当たり前が通じないことで、腹を立てたり、イライラしたりすることが発生します。

実は、そのことが人として一番の成長につながるチャンスだと私は思っています。自分の苛立ちがなぜ生まれるのかを考えるときでもあるからです。そのときに、自分の正しさに自分自身が振り回されていることに気付けると、人は成長していきます。

違って当たり前。自分が正しいとは限らない。これが分かって人と話をすると相手を理解しようとし始めます。自分にはない考え方、感じ方をする人に対して否定をするのではなく、なぜそう思うのか、どうしたら理解し合えるのかを考えます。それがないと、常に相手が悪く自分は悪くないとなってしまい、相手を理解しようとはしません。

よくあるのが次のようなことです。

自分が被害者の立場に立ってしまうときです。たとえばこんな言葉はその意識があるからだと思います。「怒られる」「分かってくれない」「言ってくれない」など、普段何気なく使っている言葉の中に、相手を責めていることが結構あります。

そしてそうなったとき、それ以上考えようとはしません。なぜなら相手が悪いということで終わるからです。

怒られると思ったときになぜそう自分は思ってしまうのか。そう思うのは自分に何かがあるからではないか。誰が悪いとかではなく、なぜそう思ってしまうのかを深く見ていくことが大切なんだと思います。

先日、会社のメンバーと話していたときのことです。

Aさん「●●さんが、●●について言ってくれないんですよ」

私「その人にそのことを聞いたの?」

Aさん「いいえ」

私「それは自分から言わないとわからないよ。待っているのではなく、自分から聞くことが必要だと思うよ。」

Aさん「・・・・。」

その会話をしたときに、相手を責めているAさんは、自分が相手を責めていることに気が付いていませんでした。言ってくれない、してくれない相手が悪いと不満を持っていました。Aさんは、そのことで自ら自分自身に悪い影響を与えていました。

自分から動いて聞けば済む話です。被害者になりすましていて、そして相手から言うのが当たり前だろうという傲慢さがそこに潜んでいます。けれども、そこのことに気付かせてくれる人がいないと人は気付けません。

自分がそんなことをしていることさえも気付いていないからです。まさか自分がそんな人間であるとは思ってもみない感じと言った方が正しいのかもしれません。だからナオミでは、人としての大事な部分を探求し考えるような機会を作っています。寄り添いながら、自分の傲慢さ、横暴さ、自分勝手さに気付くように話をします。

そこに気付き成長することで、なによりもその人の人生が変化していきます。そしてその人が成長することで、会社が成長します。自分を探求することは。嫌な自分を見つめていくことになるときもあるので、正直かなりしんどいことです。ただそこを避けて通るわけにはいきません。

本当の自分を知ることによって、ようやく相手の立場に立って考えることができるようになり、勝手な行動をしている自分を認め謙虚に生きていくことができるようになります。

それは、ひとりでは難しい気付きです。人生をどう生きるかを教えてくれる人や、導いてくれる人がいてこそ理解していけるものであると私は思います。しかも子育てのようにとても時間のかかることですし、手間のかかることではあります。根気よく諦めずにやり続けてこそようやく結果がでるようなことだと思います。

みんなの成長のため、もちろん自分の成長のために、これからも「どう生きるか 人としてどうあるべきか」を伝え続けていきたいと思います。

実はこんな考えに至ったのは、私自身が『自分が正しい』というところに立ち、相手を理解しようとしていなかったことや、被害者ぶっていたことで、人との関係性に悪い影響を与えてしまっていたからです。自分のことは本当に見えませんでした。傲慢な考え方に気付き、相手の気持ちになることができたとき、人との関係性が一気に変わるんだなあと思います。全ては自分が源なんだと思います。

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