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◆ナオミの充填物語 ビフォー・アフター◆ VOL.0131 2018年3月号
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「 自分を活かした働き方 」
最近、人を育てるのは、向き不向きがあるなあと感じることがあります。
大企業であれば、役職が上がって行くと、その人の特性を見て、
道をふたつに分けているところが結構ありますよね。
1つは、人を育てることが向いている“マネージャー”の道
1つは、現場で仕事をやり続けたい人や、人を育てることよりも
プレイヤーで居る方が向いている人の“プレイヤー”の道
中小企業は、そこまで分けることは、なかなかできないですが、
私は人の特性を活かすには、そうした方がいいなあと思っています。
向いていないことをし続けていくことは、
人にとっても周りにとっても、しんどくなります。
例えば、100m走の選手は、あくまでも100mの専門家であって、
マラソンには向いていないし、またマラソン選手が100m走には向いているわけではないですよね。
ただ、それだけのことなのです。
本来、役職につくということは、人を育て、人をまとめることが
仕事ではあるのですが、多くの会社では、それが向いていないのに
役職についている人もいます。
たいていの理由は、
在籍年数。
プレイヤーとしての力があること。
会社全体のバランス上、そうする方がいいなど。
けれども、本当に会社にとっての最善を考えると、一旦は
人を育てる経験をしてもらい、そのときに適性を見て判断した方が
いいのではないかと考えます。
役職の定義を変えるのです。
例えば、課長であってもプレイヤー課長、マネージャー課長と分けてしまうのです。
どちらが上でも下でもなく、向き不向きで判断します。
私は、人を育てるのに向いている人は、どちらかと言うと不器用であったり、
一生懸命努力してようやく出来るようになった経験があったり、
辛い目にあったことのある人だったりするんじゃないかと思っています。
そういう人は、出来ない人の気持ちがわかりますから。
なんでも器用にこなして、あまり苦労も無く出来てしまう人がいますが、
そういう人は、もともと、そういう能力を持ち合わせて
生まれて来ているので、どうしても出来ない人の気持ちに
寄り添うのが難しいように思います。
子育てに置き換えると、よく分かると思います。
子どもを育てるときに、親が優等生であったり、なんでも出来てしまったりする人は
子どもの気持ちを汲み取るのが難しそうだなあと思います。
自分が出来てしまうので、子どもが出来ないことが
許せないと感じてしまいます。
実は、私もそうでした。
私の娘は小学校のころ、運動があまり得意な子ではありませんでした。
走るのがゆっくりだったり、ボールを使った運動が苦手だったり、
器用にこなせない子でした。
私は、そこそこ運動ができる方だったので、娘の気持ちが分かって
あげられず、よくイライラしていたのを思い出します。
娘はきっと、一生懸命やっても、できない自分に
もどかしさを感じていたと思うのです。
器用にこなせる人が、羨ましかっただろうと思います。
どうしたら出来るようになるのか分からなくて、
苦しかっただろうなあと思います。
あるとき、娘が一輪車に乗る練習をしていたことがあります。
すぐに乗れず、一生懸命に努力をしていたようでした。
私は、娘がそんなに努力をしていたのを知らなかったので、ある日娘が
一輪車に乗っている姿を見て驚きました。
娘の頑張りを、本当にえらいなあと思いました。
けれども、娘が努力していたその時、私は励ましてあげることもなく、
見てあげることもなく、ほったらかしにしていました。
今考えれば、ひどい話です。
人を育てることには、まったく向いていないというより、
育ててはいけない親でした。まさに毒親でした。
娘はただ運動が得意じゃないだけだったのに、そこをクローズアップしていました。
他にいっぱい良いところがあるのに、そこには目を向けずに、
ダメなところばかりを指摘していました。
そして、その教育方法しか知りませんでした。
そんな私の教育方法が間違っていることに気付かせてもらえたのは、
ふたりの子どもの不登校という時間があったからです。
不登校が始まったころは、全く子どもの気持ちがわからず、
相変らず支配するようなひどいことを言っていました。
でも、子どもは全力でそれは違うといろんなカタチで
私に訴え続けました。
例えば、何を言っても無視。暴言を吐く。
一切、私の話を聞かないでやりたいことをする。
ようするに分かってほしい、という行動だったんだと思います。
私は何を言っても届かないことが分かり、子どもの様子を
ちゃんと見るようにしてみました。そうすると注意したり、
指摘しなくてもいいことに気がついたのです。
むしろ黙って待って、子どもたちのやりたいことを尊重すると、
ちゃんと考えていることが見えてきました。
言ってしまいたくなるのは、自分の心配や不安な気持ちに
我慢できないからで、自分勝手でしかありませんでした。
私の考えを押し付けることを止めて、話を聴くように
していくようになると、子どもは自分の気持ちを話し始めてくれました。
意外なことばかりで、私はどれだけ彼らに寄り添って
あげてなかったかを思い知らされました。
自分の考えが正しいわけではなく、いろんな考え方がある。
違うことが当たり前で、違うときは理解しようとすることが大事であること。
そんなことを子どもたちから教えてもらって、
私は人に寄り添うことが、徐々にできるようになっていったのでした。
もし、その経験がなければ、私は人を育てるのには不向きな人間だったと思います。
特に役職についている方、後輩を指導している方には、
考えてほしいのです。
かつての私のようなことを、後輩にしていないでしょうか?
ダメなところばかり指摘する。
できない人の気持ちに寄り添おうとしていない。
すぐに結果を出すことを求めて待ってあげていない。
スキルだけの成長しか見ていない。
いいところに目を向けていない。
それから、後輩だけではなく、会社の中においてもこんなことをしていないでしょうか?
人からの意見や提案を聞く力がない。
そのままではよくないと忠告しても、その場でよい返事をして腹に落ちていない。
部下が勇気を振り絞って進言しても、聞いているふりだけで、心の底から聞くことはしない。
そんなことでは、最終的に「自分の意見が正しい」というところから離れることができません。
そして、人は育ちません。
信用して、任せて認める。
その姿勢が必要です。
でも、冒頭に書いたように、それが向いていない人がいます。
そういう人は、人を育てる仕事はせずに
プレイヤーに徹すれば、自分を活かすことができます。
自分の特性を理解し、向いていることをすることが
会社に一番貢献できることに繋がります。
人を育てることが向いている人に、教育をやってもらい、
「人育てマイスター」のような担当をしてもらうのはどうかなあと思います。
その人に育ててもらうと、自信を持ち、会社に貢献したいと
思うような人になっていく。
そんな人育てマイスターが増えていけば、会社は確実に変化していくと思います。
自分の特性を活かした働き方をすることは、
みんなを活かすことにも繋がると思います。
私としては、
「功ある者には禄(ろく=報酬)を与えよ、徳ある者には地位を与えよ」
と西郷隆盛の言葉のように進めていくことが、
会社の最善になるのではないかと思います。
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